- 第5話「夜(Night)」
- 監督:アレックス・ガルシア・ロペス
- 脚本:コー・アダナ、キャメロン・スクウェアズ
あらすじ
マスターと案内役のカイミールを裏切りケルナッカに投降しようとしたメイ。そして、彼女を追うマスター・ソル率いるジェダイ一行とオーシャ。両者が垣間見えようとしたその時・・・メイのマスター(公式の仮呼称はストレンジャー)が表れた。フォースでジェダイを吹き飛ばすと、ライトセーバーを無効化するマスクとガントレットや苛烈な攻撃でジェダイを圧倒する。次々と倒れていくジェダイ。
乱戦の中、ソルはオーシャをヨード・ファンダーに託し、自ら”ストレンジャー”の「彼」と対峙する。一方、ソルの弟子ジェキ・ロンはケルナッカのセーバーを奪ったメイの逮捕を試みる。二組の激しい戦いの中、突如「彼」はメイのもとへ現れる。ジェキはケルナッカのセーバーで二刀流になり、善戦。一方、バジルに導かれ船に戻っていたヨードとオーシャだったが、オーシャは仲間の死を予感。二人は虫の大群を引き連れつつ戻ることを決断する。
「彼」との戦いではソルとジェキの師弟が見事な連携を見せていた。しかし、不意を突いた「彼」が隠し持っていた二本目のセーバーにジェキは貫かれ、死ぬ。そして壊れたマスクの下から現れたのは、あのカイミールの顔だった。ヨードも素手の戦いで勝負を挑むが、首を折られて殺された。ソルは怒りで我を忘れカイミールを殺しそうになる。ソルの過去を責めつつ、「闇を受け入れてない」と煽るカイミール。だが、オーシャの呼びかけで思いとどまる。そして、オーシャは、ピップをカイミールの背中に取り付けることで虫の大群に彼を連れ去らせた。オーシャはソルに過去について尋ねようとするが・・・先ほど気絶させられたはずのメイがソルを気絶させる。
朝日の中、双子は再会を果たす。メイはオーシャと、オーシャはメイと向き合い、互いが互いのマスターと今の状況を非難しあう。メイはオーシャに仲間になれと説得を試みるが、オーシャはメイを逮捕しようとする。メイは説得を諦め、彼女を気絶させると入れ替わりを試みつ。。
ショックを受けて放心のソルはそれに気づけない。だが、バジルの鼻はごまかせず・・・。そして、カイミールも捨て置かれたオーシャを見つける。彼はオーシャの傷をフォースで癒すと、そっと優しく毛布を掛ける・・・
マスクの下の野獣
とにかくカイミールがかっこいい!あんなに推してたヨードが死んだショックよりもカイミールと出会えた喜びが勝ってしまった。最初の戦闘で、ライトセーバーを「砕いた」ことには驚き困惑した。これがレジェンズ(旧設定)時代からおなじみのコートシスであることは頭に浮かんだが、まさかそれをマスクやガントレットに仕込み、頭突きを繰り出すとは・・・。「反則」にすら思えた。その後もマスクの「彼」は奇抜な技を繰り出し続ける。腹を貫いたジェダイの向こうから別のジェダイをフォースで引き寄せ、二重の串刺しに。ソルとの決着を放っておいてメイのもとに勝手に移動。ライトセーバーの破壊を狙った攻撃。そして、仕込んでいた二本目のライトセーバー。だが、そんな「反則」への違和感は彼の目的が明かされたことで腑に落ちる。彼の目的は「自由」。
第2話でカイミールが引用していたシスの掟シス・コードでは、こう語られている。「力を通じて勝利を得る。勝利を通じて私の鎖はちぎれる。フォースは私を自由にする。平和は偽りだ」。そうシスとは圧倒的な力により自由を求めるものなのだ。モールが正々堂々とジェダイに決闘を挑んだのも、パルパティーンが陰謀を巡らせていたのも、それも彼らの自由の表れにすぎない。強者がルールに縛られることはない。だから、「反則」を使える。これこそがシスなのだ。
カイミールが自分のことをシスとは断言せずに「お前らはシスと呼ぶ」と答えたことでその正体について憶測が飛び交っている。一説として、レン騎士団の関係者では、という声もある。たしかに、顔だけ隠し、ムキムキの体を露出させるそのイカした姿、そして「○○と呼ばれる」という台詞は、レン騎士団の先代団長を思い出させる(ベンがカイロ・レンになった過程が描かれるコミック『The Rise of Kylo Ren』に登場)。さらに、カイミールがオーシャをフォースを癒す場面で、カイロ・レンのテーマが流れたのもこの予想を加速させている。
だが、私は彼が自由を求めるからこそ「シス」という枠組みを嫌ったと捉えている。本作は魔女とジェダイという二つの宗教の中で生きる人々がいかに窮屈かを描いてきた。そして、教義と集団性を持つシスも同じく宗教だ。プリクエル三部作のシスは、「自分たちの教団」を苦しめてきたという理由で、ジェダイへの復讐をもくろんでいた。カイミールはそう縛らることに嫌気が刺したシスなのだろう。彼の求める自由とシスという教団は相いれない。実際に制作陣もカイミールをシスと呼んでいる。ただし、シス・マスターではない、という展開はあるのではないだろうか。「二人の掟」を持つシスは常に「二人で一つ」だ。だが、カイミールは一人で動き、「自分自身の弟子が欲しい」と語っていた。つまり、カイミールは教義を押し付ける目の上のたんこぶであるマスターを排そうと動いているのではないか。
カイミールのマスクは今までの悪役のマスクとは異なる意味を持つ。ヴェイダーは生きるために強いられて呪いとしてマスクを被った。カイロ・レンはその呪いに憧れ、弱い自分を捨てるためにマスクを被った。だが、カイミールにはそこまで強い動機はない。ただ自由を得るために、正体を隠すために被る。カイロ・レンが自己実現のためにハンドルネームを得たネット民だとしたら、カイミールのマスクはただ荒らしを行う匿名アカウントだ。まさに愉快犯であり、笑顔を象ったふざけたマスクであることもうなずける。
マスクの下として、様々な顔を予想していたが、カイミール以上はいないと確信している。ミスリードではと言う予想も多かった(し私もそう思った)が、裏の裏を突かれて逆に驚きがあった。ジェキが殺され、「まだ子供だった」と責めるソルに、「お前が連れてきた」と嫌味で返答するのは、この作品のベストフレーズになりそうだ。ヘラヘラしていたあの姿からは想像もできない、ギラギラした顔。鍛え抜かれた腕。そのギャップがたまらない。最後にオーシャにマントを掛けてあげる優男としての一面が、さらにギャップを広げる。・・・いやこれはギャップなのだろうか?それとも二面性と呼ぶべきか?闇の戦士でありながらカイミールはジェダイが使うはずのフォース・ヒーリングまで使っていた。さらに、「頭に入る」のはこのカイミールの邪悪な特性のように描かれていたが、ジェダイもやってきたことだし、カイミール自身はソルにそうされるのを嫌がっているようにも見えたが・・・?ジェダイとカイミール。両極にあるように見える二つには共通点があるのかもしれない。
衝撃の展開
今回は人気キャラの死という衝撃の連続があった。ジェキもヨードも生存への期待など抱かせない方法で確実に殺された。まだ若いジェキは乱戦の中、状況を的確に判断し、メイの逮捕を優先させた。たとえどんな強力な敵が立ちはだかろうとも、折れることなく向かっていった。二刀流を使いこなしカイミール相手に粘り、ソルとの見事なコンビネーションも見せていた。だが、あっさりとカイミールの二本目のセーバーに刺され殺された。前回「生き抜いてきたことの意味」を語り、勇猛果敢に戦っていたうら若い少女からこそ悲劇的な死だ。
ヨードも大好きなキャラだった。不器用ながらも、真面目さと心優しさを持ち、友人のオーシャを思いやっていた。ソルがオーシャを逃がすためにあえてオーシャを民間人と呼んだ場面からも、彼のキャラがうかがい知れた。仲間思いのヨードはたとえ怪我をしていても、頑として戦場を離れようとしなかっただろう。そんなヨードを知るソルは、彼のもう一つの側面である真面目さを刺激するために、あえて「民間人」という言葉を使ってルールを示し彼を船へと戻した。だが、主人公であるオーシャに再び仲間思いの面を刺激され・・・そして死地へと赴いた。マスクでライトセーバーを無効化するという機転を利かせたが、徒手空拳の実力でかなわず、殺意のこもったその動きに対応しきれなかった。だがヨードの真面目さと仲間思いが描かれたこの最期には満足だ。
本作では、ジェダイの黄金期であるからこそ、多くのジェダイが登場し、そして大きな事件になったからこそ、多くのジェダイが殺される。ボロ雑巾のように切り捨てられる英雄を見て、観客は都合の良い展開はないと悟る。ファンが愛するキャラさえ死ぬ。それを強調するために、やけに公式がヨード推しだったのも巧みな手腕だった。本作は観客の考察をすべて裏切るのみならず、公式の宣伝をも利用した作品作りがされており、リアルタイムだからこそ味わえる驚きと悲しみがある。
双子のそれぞれの道:集団と自由
カイミールから「(弟子に顔を隠すなと)お前が言うのか」「ソルを信じるのか」「お前は自分の闇を受け入れていない」と評価されているソルの過去は、もう真っ黒なのだろう。そして、なぜカイミールはその事実を知っているのだろうか・・・?第7話は第3話と同じコゴナタ監督なので、ここで事件が再び描かれる可能性が高い。メイはオーシャを「洗脳された」としていたので、第3話の描写はオーシャに植え付けられた記憶なのかも?そして、映画『羅生門』から影響を受けたとされている本作は、第7話ではメイの視点を描く気もする。
そして、今回もまた観客の予想のはるか先を行く締めであった。メイがオーシャになり替わりソルに近づく。オーシャはカイミールに拾われる。双子の入れ替わりトリックはありそうだと思ったが、ここまで大胆なことをするとは。このシーズンの終わりはメイが光に、オーシャが闇に向かうことになりそうだ。その中心にあるのは、やはりあの16年前の事件だろう。メイは、その真相を白日の下にさらし、オーシャを転向させる心づもりであろうが、ことはそううまく運ばないはずだ。メイも、オーシャが死んだと思い込んでいたように、捻じ曲げられた「真実」しか知らない。ここでも『羅生門』スタイルが使われそうだ。ソルがメイに自分の「真実」を、カイミールがオーシャに自分の「真実」を語り、結果的に双子の光と闇が入れ替わることになるのでは。
前回も指摘したがオーシャは、メイのことを振り払うべき自分の過去ととらえている節がある。今回もオーシャはメイを捕らえることに注力していた。一方、メイはオーシャを救おうと心の底から考えている。悪であるはずのメイだが、彼女の方がより家族愛を感じる。魔女の集団が全滅し、ジェダイをも抜けたオーシャには、もはや「家族」はいない。それなのに、メイを前回は忘れようと、今回は逮捕しようとする。そればかりか、今まで唯一の友達だったピップすらあっさりと犠牲にした。オーシャはひたすら孤独へと突き進んでいるようにしか思えない。家族愛を肯定するスター・ウォーズにおいて、それが幸福へ繋がることはないであろう・・・
この物語も折り返し、段々と物語の核にあるのは「集団」と「自由」の対立ではないかという気がしてきた。ソルも、メイも、オーシャも、カイミールも全員が何らかの宗教的な「集団」に入っている。そして、メイは今では暗黒の集団からの脱却を目指し、オーシャは魔女を抜け、ジェダイをも抜けた。そして、カイミールはすべてのルールを押し付ける「集団」を破壊し、「自由」を求めているようだ。こう見ると、家族という集団を求めるメイとジェダイという集団を守ろうとするソル、孤独への道を歩むオーシャとすべてを破壊しようとするカイミールが手を組むのも、自然な流れに見えてこないだろうか?もはや本作の展開を予想するなどおこがましいことに私は気付きつつあるが、一つの視点としてここに書き記しておく。
豆知識
コートシス
カイミール(ストレンジャー)のヘルメットとガントレットに使用されているコートシスは、レジェンズ(旧設定群)時代から存在した設定。ライトセーバーの刃を破壊する能力を持つ希少な鉱石であり、セーバーを一時的にショートさせる。ただし、刃自体に恒久的なダメージを与えることはなく、またベスカーほど物理的な攻撃に強いわけでもない。
トラカタ
ストレンジャーは、戦闘中にライトセーバーを一時的に停止させ、すぐに再起動を行うトラカタと呼ばれる技術を使用している。これもレジェンズからの流用であり、相手の予測を難しくさせる技。邪悪な技という扱いをされていた。ちなみに、これは元々ファンが作り出した設定(ファノン)でもある。
名作映画の影響
総指揮のヘッドランドによると、前回の「昼」と今回「夜」は、『エイリアン』と『プレデター』という名作映画に影響されて制作された。
クリーチャー
森にすみ、カイミールを連れ去ることになる虫型のクリーチャーは「アンブラモス」と呼ばれている。夜になると羽化するそうだ。
隠された二本目のセーバー
カイミール、ライトセーバーの柄の中に2本目のライトセーバーを隠している。このライトセーバーの柄を分離し、もう一本のライトセーバーを取り出すというビジュアルは『ジェダイ:フォールン・オーダー』や『ジェダイ:サバイバー』でのカル・ケスティスと似ている。
フォース・ヒーリング
カイミールは、オーシャをフォースで癒す。これは、『スカイウォーカーの夜明け』でレイが使用したフォース・ヒーリングという技と同じものであろう。そして、背景に流れている音楽は、カイロ・レンのテーマと酷似している。
デジャリック
オーシャに扮したメイとソルは、船に戻る途中でエイリアンの横を通り過ぎるが、彼らがプレイしているのは、『EP4/新たなる希望』に登場した、あのホロチェス、デジャリックのようだ。
- 海外の反応
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