『最後のジェダイ』を巡る論争は、近年のスター・ウォーズでもっとも盛り上がる論争である。新しい作品が出るたびに掘り返され、時には新たな視座をもたらすこの論争が無意味だとは思わない。
とはいえ、同じ所をグルグルするのはあまりに生産性がない。前提や背景などの正しい知識を抑えないレスバは的外れで無意味だ。特に、特定のシーンを「設定崩壊」や「設定の矛盾」と批判する意見の大半は、その「設定」についての知識が足りていない。
ということで、この記事を執筆しておく。今後的外れな「設定」に関する意見を目にしたときに、この記事を貼ってもらえば、無駄なレスバで皆さんの貴重な時間を浪費することは無くなるだろう。なお、最後の節を読んでもらえばわかるが、私は『最後のジェダイ』を擁護したいわけではない。的外れで無意味な話は辞めようと知識を提供しているだけである。
また、今回列挙した説明は、映画以前の描写か映画と同時に制作された書籍からの情報で、「後付け」ではない。
冒頭の爆撃機
冒頭のレジスタンス・ボマーからの爆弾投下が「無重力空間なのに落下するのはおかしい」と批判する声があるが、設定上はこの爆弾は「落下していない」。電磁プレートにより加速され、磁気で標的に吸い付く一連の動きが落下しているように見えるだけである[1]。
宇宙空間からの生還
レイアの「宇宙遊泳」も物議を醸すシーンではあるが、『最後のジェダイ』の前年には前例が作られていた。正史のアニメ『反乱者たち』S3-3で、ジェダイのケイナン・ジャラスは宇宙に放り出されたものの、意識を失わずにフォースを使って帰還した。レイアのシーンの方が長い時間真空に晒されたようにも思えるが、描写としては大方同じである。
ハイパースペース特攻
「ハイパースペース特攻」ことホルド機動は最も賛否両論が別れているが、その詳細設定は確立されている。レジスタンスのクルーザー<ラダス>には、特別な実験用の防御シールドが搭載されていた[1]。ホルド自身もこの攻撃は「まったく根拠がない」わけではないが「無謀」であることも知っていた。結果的には前述の実験用の「増強された防御シールド」が保たれたことで、この攻撃は幸運にも成功した[2]。今までの映画のシーンでこの戦術が使われてこなかった理由は、この設定から説明されているだろう。
ルークの幻影
クレイトの戦いでルークが「幻影」として戦ったシーンもフォースの設定を破壊していると言われている。だが、ルーカスがクリスマスプレゼントに選ぶほど気に入っていたとされる1992年発売の名作コミック『ダーク・エンパイア』では、ルークが「幻影」を使ってレイアらを欺く描写がある。この作品は映画に連なる公認の作品として世に送り出されており、詳しいファンならフォースを使った「幻影」は既に目にしていた。ここではレイアは「暗黒面の技」だと推察してはいるが、設定資料集の『ジェダイの書』では似た技がジェダイの技として紹介されている。(余談だが、『最後のジェダイ』でAT-M6の攻撃をびくともしないルークは、同作冒頭でAT-ATの攻撃を寄せ付けない描写のオマージュではないか)
また、ライアン・ジョンソン監督は前述の『ジェダイの書』を持ち出し、この描写が旧設定群のレジェンズに由来することをTwitterで主張した。何にせよ、この描写にも前例はあった。
だからといっても・・・!
ここで列挙した前提や背景を抜きにして、特定のシーンを「設定崩壊」だの「設定矛盾」だのと非難するのは的外れな場合が多い。一度はこれらの情報を抑えておいて欲しいものだ。そもそもスター・ウォーズはフィクションである。真空で音が鳴ったり、TIEファイターの窓の形が内部と外部で異なったりと、最初から現実の"設定"―すなわち物理法則―を無視する描写はごまんとあった。そして、フィクションであるからこそ設定なんて後付けでどうにでもなる。そこにどこまでの厳密性を求めていくべきなのだろうか。
だからといっても、気に入らない描写は気に入らないものである。自分が納得できない理由は、確かにそこにあったはずだ。映画での描写の不足や自分がスター・ウォーズに抱いていたイメージとの差異などなど・・・自分の中の感想に向きあい、前提や背景を調べた上で、その描写や設定について語るのは有意義だ。だが、他人を論破するために、的外れのそれらしい文言で、自分の感想を権威付けして正当化しようとするのはなんとも虚しい。「設定崩壊」や「設定の矛盾」という強い言葉を悪用するのは健全な姿勢ではない。そして、その上にある論争まがいのレスバにも価値はない。自分の感想は人にマウントを取るためではなく、自分のためにあるものだ。
というわけで、この記事を読んだ皆さんが的外れなレスバではなく、自分と作品について向きあうことにより時間をかけるようになってくれれば幸いだ。なお、この記事は『最後のジェダイ』を擁護している!と短絡的に考えるのも、また的外れである。
※要望があったり、気が向いたりしたら追記するかも
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